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歴史と沿革
歴史編(1/4)
石工 木村(いしく きむら)

この地を治めた一族は、かつて木村家であったが、田村家により滅ぼされることになる。
  そのことで田村氏が統治したこの地は、後の田村町、田村郡〜田村市とになる。

安土桃山時代(1573年〜)常陸国より陸奥国に来た主君に木村家は仕えることになる。
主君が豊臣側の石田三成氏に仕え、主君亡き後にその地の藩主のもと仕えることになる。
伝えとともに記録の断片もあり、其の云い伝えは平成21年現在、福島のある寺院の云われに残っていた。
(木村家は佐々木系譜である。木村家系譜資料は昭和45年に消失も捜索中)   

1600年頃の築城の際は石を切る機械もなき時代に渓谷より石を切出し、知恵と技術で割り運び出したとされる。
    日本でも有数の石文化を築いたその伝承は、その300年後に木村家が築いた技術が証明する。

その数百年前からの歴史に関わる奇縁から、福島のある慣わしでは木村家を最初に訪れ舞うという。

石勝(いしかつ)

木村家の系譜の一つ。現在より383年前、江戸時代の寛永十年(1633年)に陸奥国で始まった
福島県の郷土資料に残る長期間に亘った事業に関わったことが始まりであり、その数十年後に
福島の歴史上のある人物の命(めい)によりつくられたと伝えられる

江戸より続き石勝は世襲の決まりにより数多くいた石工の中でも木村宗家でなければ当主を務めることが認められなかった。
石勝が福島に存在したことは石勝が成した工事が証明し、その技術は木村家の他には有り得ない。
石勝は代々に受継がれ続けた石工木村の屋号である。

福島県内にある会津地方と磐城(いわき)の超大型の石造物と、20キロ以上に渡る
石垣は石勝主幹であり木村家を中心に完成を成し遂げた石工事であり
福島の歴史と文化を象徴する石造物である。

唯一宗家以外の出身だった石勝10代目当主を最後に約297年の長い歴史を終えている。

東北石材(とうほくせきざい)

木村家の系譜の一つ。木村宗家出身の石勝9代目当主が設立に関わった木村家の分岐。
しかしその思想は、石勝が木村家の意思とは異なり無くなってしまうことにより変えざるおえなくなる。

昭和中期、高度経済成長の時代に国内生産の需要が高まる中、石材の工場生産のためにつくられる。
北海道から東京都八王子までの有名石材店の加工注文を請け、機械化で身に付けた石材加工技術。
平成になってからは卸売から小売へと業態を変更し各地域での施工実績で大きな信頼を得ることができた
石材加工全般、石材施工全般に完成された、日本でも数少ない石材店の一つ。

木村家(きむらけ)

木村家は江戸時代の陸奥国で一族の男子すべてが石工職人という特殊な氏族になる。

しかし長い年月の中で石勝の当主家である木村宗家以外の※木村姓の石工はすべてなくなってしまうことになる。
※歴史と伝統を重んじた木村宗家のみが石工業を続け、他の者たちは辞めてしまうことになる。
故に木村姓の石材店であっても当家と同じ流れの石工の系譜ではないことになる。

江戸時代後期に生まれ福島県の石工として生きた木村三十郎氏の為に
明治後期に建てられた碑が福島県の某所に今も残っている。

また、石工技法と共に鍛冶技法も受継がれていた家系であり、木村三十郎氏が造った刀が
福島県内のある神社に奉納されていて、現在も祀られている。

現代の名工である菊地氏(石工)が言った言葉がある。
「この地に存在する石こそが石勝が存在した証であり、それだけではなく歴史に名を残した石工
それは誰がではなく、そのすべてが木村である」

その言葉の通り、明治から大正を越えた昭和初期までの永き歴史の石工事は、
木村宗家を中心とした石工たちであった。